ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 分類でさがす > 分類でさがす > 町政情報 > まちづくり > 『ヨソ者』統括監 地方創生奮闘記

『ヨソ者』統括監 地方創生奮闘記

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年6月6日更新

地方創生奮闘記

 

吉田秀政 地方創生担当統括監あいさつ

 

初夏の候、錦江町HPをご覧の皆さまに於かれましては、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。平素は町行政に対し、格別のお引き立てを賜り、心より御礼申し上げます。

さて、この度、移住者誘致を含む総合的な地域活性化を目的とした『地方創生担当統括監』(特別職非常勤職員)就任にあたり、あいさつ申し上げます。

 

私は『秋田県三種町』(旧八竜町)出身の43歳で、公立大学法人高崎経済大学卒業後、大手旅行代理店に入社し、東北や関東での業務を通じて、過疎地活性化の使命感や達成感に目覚め、真の地域活性化活動を行う為に平成23年1月に退職しました。

平成23年5月1日、人口減少率中国地方ワースト(当時11%)・高齢化率県内最高(当時45%)・県内最少人口(当時7,900名)の広島県『安芸太田町』に全国公募型観光協会事務局長(町第1号の『よそ者人材』)として全国116名から選任されました。

町の観光振興をミッションとして就任しましたが、あくまで観光振興は地域活性化の一部であり、町民の『熱量の増加』が過疎地活性化の基盤であるとの信念を踏まえ、広域・政策・産学官などの横断的連携による総合的な活性化活動に取り組みました。

 

一例を挙げますと、全国初の役場女性職員によるおもてなしユニットのプロデュース、最新理論による情報発信、特産品の高付加価値化による収入増を目的とした加工品開発・流通・販売、赤字続きの道の駅経営改革、町民参加型交流体験ビジネス立上げ、地域支援を目的とした困りごと解決プログラム開発、若手町民リーダー育成、町内飲食事業者の収入増を目的とした全国初のコンセプトによるB級グルメ開発・普及、対町投資誘致を目的とした欧米系富裕層外国人観光客誘致活動、定住移住誘致支援、町出身者による町支援組織化、地元県立高校入学者誘致支援など、多領域に及びました。

これらを実施するにあたり、主役は町民、共演者は町外支援者、黒子は観光協会という役割分担に徹底してこだわりました。

 

お陰様で、着任時には、寂れた過疎の典型と称されていた町が現在では、元気のある過疎地の一つとして県民から認知され、宝島社発表の移住希望者が住みたい町『県内第一位(2015年)』になり、町民主体の活動の様子を多くの報道機関で中国地方を中心にご紹介いただきました。

その結果、年間40~70名もの人口社会減で悩んでいた町にようやく歯止めがかかり始め、年によっては増加に転じるまでに改善してきました。

全ては、町民の『熱量』が高まり、町民と町外支援者の協働活動が活発化し、その様子をTV・新聞・ネット・口コミで知った都市部住民が「あの町であれば、自分の夢や想いを叶えられるかもしれない」と考え、当町にお越しいただくようになった結果であり、さらに活性化しつつある町民が都市部住民と積極的に繋がった結果であり、そして行政の個別施策(情報宣伝施策・観光振興施策・産業振興施策・定住移住振興施策・自治会活性化施策・個人活性化施策)が、それらの活動を側面支援してきた結果なのです。

これら一連の流れは決して特別なことでは無く、町民の『熱い想い』が町内全域で高まれば、錦江町でも実現できるのです。

 

但し、広島県安芸太田町は、自動車移動3時間以内に政令都市が4つもあり、約1000万人市場が対象でしたが、錦江町の同条件下市場は3分の1以下であり、各分野の専門家に意見を求めましたが、異口同音に『相当厳しい』戦いを強いられるであろうと言われました。

 その上、そのような相当厳しい戦いを、すでに決定していた某県庁幹部職員への登用内定を断ってまで、錦江町で地域活性化のお手伝いをしようと決意したのは確固たる理由があります。

一つ目は、錦江町幹部職員の強い『熱意』が感じられたことです。

この熱量についてはお誘い下さった幾つかの自治体の中で最も強く、その想いにお応えせねばと本気で思いました。 

二つ目は、私自身の『信条』によるものです。

若いころから『三方良し』を行動理念、『薩摩男の順序』を行動規範として生きて参りました。『薩摩男の順序』の発祥の地に敬意を表し、鹿児島県の方々と一緒に活動したいと考えました。

 

三つ目は、私の『生き様』に対する責任です。

平成23年3月、私は宮城県に在住しており、東日本大震災を経験しました。

1,000年に1度。「この世の地獄」に立ち会った者の一人として、大震災を幸運にも生き永らえた者として、東北地域振興の道半ばにして無念の死を遂げた「方々」の意思を継ぐためにも、大げさに感じられるかもしれませんが、過疎地振興は私に託された逃れる事が出来ない、言わば「使命」だと考えるに至りました。

彼らが受けた苦しみや悲しみを思う時、私はこれからの「生き様」に責任を持つ必要があるのです。

 

さて、私のミッションである「地方創生」について簡単に説明させていただきます。

日本創生会議で公表された内容は、地域の人口が減る、あるいは子供が減る、働き手が減る、高齢者が増える、という『数字上の現象』だけでは済まない『右肩上がりから右肩下がりの社会構造』への大きな転換期に突入することを意味しています。

これらは近代日本にとって初めての状況である上、地域によって状態が大きく異なることが考えられます。

よって明治維新以降続けられてきた『中央集権』的発想だけでは解決できない課題が山積しており、各地で『地域住民』はもちろんのこと、『産学金官』の総力を結集した戦略的な活動が重要なのです。

 

錦江町においては、社会構造変化の一状態である『急激な過疎化』を直視し、各自の考え方、生活スタイル、地域の在り方をどの様に捉え、再構築するかが問われているのです。

その為に何より必要なことは、制限された財政状況下で現実を見据えながら、『町民が町の未来(希望)を行政や関係諸団体とともに決め、町の未来を切り開くために行政や関係諸団体とともに積極的かつ戦略的に活動すること』なのです。

その伴走役として、水先案内人として地方創生担当統括監が存在しているのです。

 

このたび南日本新聞で6月2日に報道いただいた『百人委員会(仮称)の設置』はまさに、上記理念に沿った手法で、既に鳥取県智頭町で10年以上前から導入され効果を上げています。

ちなみに、過疎化対策は全国各地で様々な手法が試行されていますが、活性化が順調な地域の共通項は、『特定の誰かによる活動』が活発であることはもちろんのこと、とりわけ『老若男女・様々な立場・職種・考え方の町民による意思決定の仕組みを介した参画型活動とそれらを受け入れる行政や町民の柔軟性と多様性』を有している点にあります。

よって『百人委員会(仮称)』は町民の皆様による『未来(希望)づくり』を行政とともに実現する場とさせていただくことをこの場をお借りしてお約束申し上げます。

最後になりますが、4月14日に発生し、過去に例を見ない連続地震による甚大な被害をもたらした『熊本地震』で不幸にもお亡くなりになった方々に対し心から哀悼の意を表し、被災された方々に対し心からお見舞い申し上げます。

地震被災の苦しみを良く知る者として、錦江町の皆さまに対し、相身互いの精神で被災地への息の長いご支援を心からよろしくお願い申し上げます。

 

平成28年6月1日

 

錦江町 地方創生担当統括監

吉田 秀政

E-mail:hyoshida@town.kinko.lg.jp